2018年3月26日月曜日

EDU-JPN:Tis the Season…for the Flu

Education in Japan (Natalie Collor)

In most places, the influenza virus is hard to avoid, even though many people receive a yearly vaccine to improve their odds of contracting the virus. Japan is no different, but its schools have measures in place to help prevent large-scale spreading of the virus.

One tactic most schools have in place is to ‘suspend’ students if the number of students with the virus is between 20% and 33% of the whole homeroom class. For three to five days, students are not allowed to come to school. Unlike the American use of ‘suspend,’ this action does not punish students or reflect badly on their academic record. They simply stay at home and do whatever homework they are able to without attending class and, for some, while managing sickness. In terms of the schoolwide spread of the virus, if just 10% of students in a specific grade to contract influenza, the whole grade will be suspended for a short period of time. Since the influenza virus is spread very easily through skin-to-skin contact, school administrators believe the best way to prevent mass spreading throughout schools is to suspend students in the given ways.

Although January and February are typically thought of as flu season, there were schools in Gunma Prefecture that announced the first cases of influenza spreading as early as November of 2017. There were several schools that suspended individual classes and whole grades, so flu season is already well underway in Japan.

While students may be quick to celebrate this guilt-free suspension which allows them to stay at home to rest, watch TV, or play video games, teachers are not as pleased when their students are suspended. They cannot move forward with the material according to the curriculum when all students are missing, therein making homework very repetitive. Teachers may appreciate having an extra break period or two, given the busy day-to-day workload, but the result of numerous cancelled classes due to the suspension puts them in a difficult position. The more students that are missing, the less teachers are actually able to accomplish during the school day. No matter how long the students are missing from school, they are expected to finish the standard curriculum for each subject by the end of the school year, which means teachers have to find ways to add in make-up classes and homework assignments. This situation reflects the snow day phenomenon in American schools, where students are happy to have time off in the winter, but unhappy to be making everything up during the dog days of summer.

2018年3月19日月曜日

EDU-JPN:How Influenza Affects Exam Season

Education in Japan (Natalie Collor)

Once the new calendar year begins in Japan, and sometimes even before, many middle and high school students’ minds are occupied with thoughts of one thing: university entrance exams. A previous post has addressed the specifics of the exam schedule and the vigorous preparation these students undergo to score well on the standardized exams. However, an additional variable at play in exam season is, in fact, influenza.

Not only is the number of third-year middle and high school students who receive the vaccine more than any other grade level, but it is also very likely that these students do not receive the vaccine every year. Students and parents in Japan know the importance of being well during the exam, not to mention the months leading up to it; therefore, they do all they can to prevent contracting the virus by getting the vaccine. In some cases, all members in a family are said to get the vaccine in order to protect the examinee. News programs and school nurses also encourage students to wear masks and wash hands regularly as other preventative measures.

Vaccines are not a guarantee, however, and as the importance of entrance exams grows, so does the necessity of students being able to take the exam in a healthy state. Despite taking all the preventative measures leading up to the exam, some students still end up sick during the exam day. A makeup test day, which would certainly give those students unable to take the exam due to illness a second chance, is an idea that has recently been implemented by high schools in some regions. Although makeup test days are not available for every high school, this special option for ill students may improve their chances of doing well on the test and gaining admission to the high school of their choice. Each high school offering a makeup test date likely announces the date ahead of time and a corresponding process to follow to register for said test.

Although a similar makeup test day equivalent does not yet exist for college entrance exams, one can only wonder, given the extremely competitive nature of the exams and the unpredictability of contracting illness, if this option will exist in the future.

2017年12月8日金曜日

研究紹介: やりたいこと”がない人はなぜ肩身の狭い思いをするのか(卒業研究)

研究紹介

森下結衣『就職活動における志望動機の社会的機能
―企業と学生の”やりたいこと”理解に着目して―』(卒業論文)


林 寛平(信州大学)

 長い就職氷河期を経て、近年は大卒の就職率も改善してきた。しかし、就職活動の早期化・長期化に伴う学業への悪影響や新卒社員の高い離職率が問題となり、企業と学生との間のミスマッチが顕在化している。新卒社員の離職に関しては、世代論による若者批判が根強くある一方で、「やる気搾取」(阿部2006)のような企業倫理や社会制度に対する批判も見られる。また、企業側は「産業構造や社会の変化に主体的に対応し、生涯現役で活躍できる人材の育成」(経済団体連合会2016)を求めているのに対して、経済協力開発機構(OECD)の成人力調査(PIAAC)では、日本の成人はオーバースペックで、高い能力を生かせるような仕事が不足している可能性があり、産業構造の転換が課題として指摘されている(松下2013)。
 「人物重視」と言われ、企業はエントリーシートや面接で学生に「やりたいこと」(志望動機等を含む)を尋ね、学生の個性や特徴を把握しようと試みる。一方で、学生たちは似通ったリクルートスーツを身にまとい、髪型を就職活動用に整え、一様な受け答えを練習する。公益財団法人日本生産性本部の調査によると、「じぶんには仕事を通じてかなえたい「夢」がある」かとの問いに対して、肯定的に回答した新入社員の割合は2009年の72.9%をピークに、2015年には58.9%にまで急減している(生産性労働情報センター2015)。本研究はこのような企業と学生の思惑の違いに着目し、「やりたいこと」を問うことが社会的にどのような機能を果たしているのか明らかにするために、関連資料の分析と採用者および被採用者へのインタビュー調査を行った。

45%以上の企業が「やりたいこと」を尋ねている

 まず、就職活動中に企業が学生の「やりたいこと」をどの程度知りたがっているのかを調べるために、東京証券取引所に上場している代表的な企業(日程225)のうち、108社のエントリーシートを入手した。このうち49社(約45%)の企業が「志望動機」を記入する欄を設けていた。例えば、「生保業界を選んだ理由と、その中で当社を選んだ理由を記載してください」(第一生命保険株式会社)「実現の場としてHondaを志望する理由を記入してください」(本田技研工業)「あなたがキッコーマンに入社して、「やりたい仕事」を具体的に教えてください」(キッコーマン)といったような設問が見られた。ここでは、「やりたいこと」の内容が評価されるのか、あるいは「やりたいこと」があることをうまくアピールできることが評価されるのかは明確ではない。そこで、企業の人事担当者3人と就職活動を経験した社会人3人にインタビューを行った。

企業の人事担当者へのインタビューから

 エントリーシートの分析から、第二次産業に属する企業は志望動機を尋ねる割合が特に多かったことから、第二次産業2社の人事担当者にインタビューを行った。「今の就活のシステム的にも、聞いても意味がないと思っているのでどうでもいい。『志望動機』の記述において優劣などはない。また、大して求めていないのに、『志望動機』を書くという負荷が大きすぎるということが問題だと思う」という率直な意見もあった。一方で、企業が「志望動機」を尋ねる動機としては、以下の2点挙げられた。第一に、会社を知ったきっかけや応募に至った理由を知りたいという動機、第二に、入社する意思の確認である。これらは、オンラインでエントリーできるようになり、学生は多数の企業の中から応募先を選び、企業は膨大の応募の中から意志ある応募者を選ぶという仕組みによって生じているコストだといえよう。

就職活動経験者へのインタビューから

 10社に応募し、そのうち1社から内定を得たXさんは、「やりたいことがなかったとしても、会社のホームページを見て一番やりたいことを書いた」と述べ、企業が「志望動機」を問う動機を「お約束事だと思う」と形式的なやり取りだと考えていた。「集団面接でも皆言葉は異なっても、大学で培ったものを生かして御社に貢献したいといっているだけだった。また、企業も『志望動機』問い詰めてくることはなかった。『志望動機』は型を作って企業のホームページを見てカメレオンのように色を変えれば作成できるものでしかなかった」と述べている。
 一方、5社に応募し、そのうち3社から内定を得たYさんは、「『わたしはこんな人間です』ということが伝わるように書いた。決まりきった定型文は書かないで、素直に正直に書いた」と述べている。
 また、40社に応募し、そのうち2社から内定を得たZさんは、「やりたいことなんてみんなないだろうけど、どれだけ会社の意向や方針に沿ってやりたいことを言えるのかというところを見ていると思う」と述べている。

 以上の文献調査とインタビューから、森下は以下3つの考察を行った。

考察1 社会で求める”やりたいこと”と個人の”やりたいこと”は違う

 社会では”やりたいこと”を問われる機会が多くあり、たびたび”やりたいこと”の表出が求められる。しかし、就職活動の場面では、暗黙のうちにやるべきことと”やりたいこと”の整合が求められる。企業の期待と就活生の希望の間にはギャップがあり、その調整が一方的に就活生に押し付けられている。

考察2 “やりたいこと”を表明する場面には権力関係がある

社会(企業)と個人(就活生)の間の”やりたいこと”の不一致を柔軟に調整できるという素質は、規律権力に従順であることの現れでもある。重田(2016)が指摘するように、規律権力は「人間が潜在的に持つ力を最大限に引き出そうとするのだが、それと同時に従順さと制御しやすさを高めるという特徴を持」ち、そのような特徴を持った人間は「身体の細部に至るまで生産性を高める訓練を受け、その意味では高い能力を身に着ける。だがそれと同時に、命令への服従、秩序への半ば無思考の従属を受け入れている」。
 子どもが大人に対して「将来の夢」や”やりたいこと”尋ねたら、違和感を覚えるだろう。これは単に大人がすでに自己実現をしていたり、余命が短いために選択可能性が乏かったりということに起因するだけではなく、”やりたいこと”を表面する場面には権力関係が生じているということを示している。企業が学生に、社会が人々に、規律権力に適応できるかどうかを見分ける術として、”やりたいこと”を問うているのではないか。

考察3 相互承認のための”やりたいこと”

学生Yはインタビューの中で、代替のきかない自分らしさを述べることで、自分はこの会社に適していることを示し、それに対して会社に「そんなあなたが欲しい」と言わせることで学生はそこから安心感を得ていると答えている。一方で企業もやりたいことを問い、「御社でどうしても働きたい」という気持ちを受け取ることで安心感を得ている。このような相互承認の関係を作ることで、お互いに価値を与え、マッチングが合理的に行われているという虚構を補強しているのではないか。

“やりたいこと”がない人はなぜ肩身の狭い思いをするのか

 森下は「総合考察」として、”やりたいこと”のない人はなぜ肩身の狭い思いをするのか、という問いに自分なりの回答を用意している。
 “やりたいこと”の有無が議論として成り立つには、”やりたいこと”のある人とない人の存在が必要になる。全員が当然に”やりたいこと”を持っているとしたら、そもそも”やりたいこと”を持つことに価値が置かれない。また、”やりたいこと”のある人であふれている社会を理想として据えても、原理的に成立し得ない。現実には、”やりたいこと”のある人ない人もどちらもいるからこそ、社会はまわっているのである。
 インタビュー調査の結果からも明らかになったように、”やりたいこと”のないという人は存在し、そのような人々は自身を否定的に捉えている。社会に、親に、先生に「自分のやりたいことをやりなさい」と言われるが、就活場面で”やりたいこと”を器用に表出できる人は、経済的な価値があると考えられている。
 しかし、就活生がかりそめの”やりたいこと”を表明し、企業もその意図を了解しながら受容しているとすると、”やりたいこと”がない人が肩身の狭い思いをしているのは”やりたいことがない”ためではなく、企業が期待するような”やりたいこと”を供出できないために、社会との間での相互承認関係が結べず、そのことによって不安が残ってしまうためではないか、と考察した。

  • 阿部真大(2006)『搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た!』集英社
  • 松下佳代(2013) NHKニュース「大人の学力の調査で日本首位」(2013年10月8日)
  • 一般財団法人日本経済団体連合会(2016)『今後の教育改革に関する基本的考え方―第3期教育振興基本計画の策定に向けて―』
  • 生産性労働情報センター(編)(2015)『平成27年度新入社員「働くことの意識」調査』
  • 重田園江(2011)『ミシェル・フーコー―近代を裏から読む』ちくま新書
  • 村上龍、はまのゆか(2003)『13歳のハローワーク』幻冬舎
  • 久木元真吾(2003)「『やりたいこと』という論理:フリーターの語りとその意図せざる帰結」社会学研究会(編)『ソシオロジ48』潮人社
  • 鵜飼洋一郎(2007)「企業が煽る『やりたいこと』-就職活動における自己分析の検討から」大阪大学人間科学部社会学・人間学・人類学研究室(編)『年報人間科学28』
  • 太郎丸博、吉田宗(2007)「若者の求職期間と意識の関係-『やりたいこと』は内定率に影響するか」 数理社会学会(編)『理論と方法22』
  • 妹尾麻美(2013)「新規大卒就職活動において「やりたいこと」は内定取得に必要か?」社会学研究会(編)『ソシオロジ59』潮人社
  • 溝上慎一(2004)『現代大学生論 ユニバーシティ・ブルーの風に揺れる』NHKブックス
  • 文部科学省(2011)『小学校キャリア教育の手引き』
  • ジグムント・バウマン(著),酒井邦秀(訳)(2014)『リキッド・モダニティを読みとく 液状化した現代社会からの44通の手紙』ちくま学芸文庫


2017年11月22日水曜日

EDU-JPN: Corporal Punishment in an Aichi Prefectural Elementary School

Education in Japan (Natalie Collor)

Recently, at an elementary school in Toyohashi City, Aichi Prefecture, a male homeroom teacher in his forties was found guilty of physically harming five of his students during a math class. Reports say that the incident occurred while the class was checking answers to an assignment. When many students did not understand the material in the way the teacher explained, he lost his temper and began physically harming his students. He hit a few boys on their heads with rulers. He even smacked one girl’s head against the blackboard. Since the day of this incident, this female student has not been able to return to school. The guilty teacher has publicly apologized for his actions and is currently taking an indefinite leave of absence. 

This incident, however, was not the first time this teacher has been accused of physically harming his students. Two years ago, he pushed a student down, and the student suffered a neck and shoulder injury. Perhaps the teacher was able to keep his job at this time because the boy’s parents and school administrators viewed this incident as an accident, not corporal punishment. 

Investigations related to this violent incident are ongoing, and the Toyohashi City Board of Education is slowly releasing information regarding the events that occurred. Area parents and school employees are no doubt on edge about the future of this teacher’s career in public schools. 

2017年10月17日火曜日

研究紹介: 学校選択制による「平等を目指す競争」の分析

林寛平「スウェーデンにおける学校選択制による学校間成績差抑制モデルの分析-ナッカ市におけるSALSAを活用した予算配分を事例に-」, 日本教育行政学会(編)『教育行政学研究と教育行政改革の軌跡と展望』, 2016, pp.174-179.


本文は機関リポジトリからダウンロードできます。

キーワード:学校選択制、教育費バウチャー制、脱集権化改革、平等を目指す競争

 かつて高度に集権化された福祉国家のモデルとみられていたスウェーデンは、1980年代以降の改革を経て脱集権化した国に様変わりした。教育における脱集権化は、学校の自律性を高めることで現場の能力が増し、学習の質が向上するという期待によって推進され(Zajda 2006)、とりわけ規則、財政、権限の側面に大きな変化が見られた(Pierre 2010)。一方、改革の動機には行政運営の効率化もあり、公的部門の民営化と支出削減が並行して進められた (Montin 1992)。この過程において、義務教育費が1990年に国からコミューン(基礎自治体)に移譲され、1992年には学校選択制が導入された。

 これらの改革は教育の「市場化」として分析されることが多い (Björklund et al. 2005)。「市場化」は競争と淘汰を前提とするため、格差拡大と質の低下が危惧されている(Bunar & Sernhede 2013)。学校教育庁の分析でも学校間成績差の拡大が明らかになっている(Skolverket 2012)。一方、国際調査では相対的に平等で公正な教育制度を有すると評価されている(OECD 2015)。また、Kallstenius(2010)は学校選択制により移民生徒がいわゆる「中流スウェーデン人」の集住地区に越境通学することで、学校が多文化になり、統合が促進される面もあると指摘している。現状では、学校選択制が成績差や分離に与える影響についてはコンセンサスが得られていない。

 本稿では、「市場化」の中で競争原理を用いながら平等を促進するナッカ市(Nacka kommun)の事例を検討する。ナッカ市の教育費配分方式は学校選択制を用いて学校間の成績差を抑制するモデルである。市は予算配分を生徒の社会的背景に応じて重みづけすることで、学校の生徒獲得行動を統制している。この安定化効果を通じて「平等を目指す競争」が生じることを期待している。本研究は、2006年から2015年にかけて学校教育庁、学校監査庁、地方自治体組合、ナッカ市、ナッカ市立基礎学校で行った聞き取り調査とナッカ市議会の議事資料に基づいている。

研究紹介: 教育政策のグローバル化とヘゲモニー

林寛平「グローバル教育政策市場を通じた『教育のヘゲモニー』の形成―教育研究所の対外戦略をめぐる構造的問題の分析―」, 日本教育行政学会(編)『日本教育行政学会年報42 教育財政をめぐる問題群』, 2016, pp.147-163, 303-304.


本文は機関リポジトリからダウンロードできます。

キーワード: グローバル教育政策市場、教育政策コンサルティング、大規模国際アセスメント、国立教育研究所、教育のヘゲモニー

 グローバル化によって、国境を越えて教育政策が売買され、その市場に国家がアクターとして参入している。本研究は、グローバル教育政策市場の実態に対する構造的な問題を指摘することを目的とする。

 新自由主義的改革を批判する研究者たちは、グローバル化を国民国家の後退と捉えてきた。しかし、一連の変化は国家の後退を招いただけではなく、国家に新しい立場を与え、逆に役割の拡大をもたらしている面もある。Ball(2012)は民間セクターが教育分野に参入したことで政治過程と政治コミュニティの様態が変化し、ネットワークガバナンスの新しい形が組成したと指摘し、これらを広く「グローバルな教育政策」と呼んでいる(Rizvi & Lingard, 2010参照)。本稿では、「グローバルな教育政策」が教員研修の請負やコンサルティング事業等を通じて流通する「グローバル教育政策市場」に先進国の政府系教育研究機関がアクターとして積極的に参入していることを指摘する。

 国家の国際市場での具体的な活動を検討するために、4ヵ国の教育研究所の事例を取り上げる。オーストラリア教育研究所(ACER)、オランダ政府教育評価機構(Cito)、ドイツ国際教育研究所(DIPF)は大規模アセスメントに強みを持ち、国際市場の先導役を担っており、PISAの運営でも中心的な役割を担っている。PISAで高得点を挙げたシンガポールでは、国立教育研究所(NIE)とその民間部門のNIE International Pte. Ltd(NIEI)が中央政府との緊密な連携の下で教育コンサルティングを行っている。

 4ヵ国の事例から、「グローバル教育政策市場」が勃興している実態が明らかになった。輸出国側と輸入国側の関係を見ると、学力の優位な国が教育政策上のノウハウを提供する見返りとして、経済的に不利な国に対価を要求する構造になっており、教育成果と経済資源の交換が行われている。この交換は、一面では、市場メカニズムに従うことで、諸アクター間が需給関係に基づく合理的な選択を行い、合意形成がなされることが期待される。しかし、輸入国の多くはOECD非加盟国であることからPISA Governing Boardに参加しておらず、アセスメントの枠組み作りやコンピテンシーの選択と定義、教育成果の価値付け等に影響を与えることができない。すなわち、教育成果が輸出国側によって一方的に値付けされており、需給調整のルールが不公正な状態になっている。これによって、すでに有利な立場にある国の優位がさらに固定的になる恐れがある。

 この非対称な関係は、Gramsci(1975)が指摘する「ヘゲモニー」の一形態といえる。さらに、先進国から途上国への国際的なコンサルティングサービスの提供を通じて、「教育におけるヘゲモニー」が生じている。



Kampei HAYASHI, ‘Educational Hegemony’ in the Global Education Policy Market -An Analysis of the Outbound Strategy Adopted by Four National Education Research Institutes, Bulletin of the Japan Educational Administration Society, No. 42, 2016, pp.147-163, 303-304.


Key Words: Global Education Policy Market, Education Policy Consulting, Large-scale International Assessment, Government-affiliated Educational Research Institutes, Educational Hegemony

The current scenario in the educational field has seen major changes impacted by globalization in which educational policies are bought and sold across national borders with nation states joining this market as actors. The purpose of this study is to point out the structural problems inherent in the reality of the global education policy market. 

Researchers who criticize neoliberal reform consider globalization as a back down of nation states. However, changes through globalization have brought forth a new position for nation states in which they have partly expanded their functions. Ball (2012) points out that ever since the private sector made its foray in the educational field, the mode of political processes and community has changed, and a new form of ‘network governance’ has emerged. He termed this as the ‘global education policy’ (see also Rizvi & Lingard, 2010). The focus of this research is on the government-affiliated educational research institutes of developed countries that are active participants in this ‘global education policy market’ as actors by contracting work in teacher training and consulting. 

Four educational research institutes were chosen to study the concrete activities of the nation state in the international market. The Australian Council for Educational Research (ACER), Central Institute for Test Development (Cito), and the German Institute for International Education Research (DIPF) emerged as the leading institutions that have exploited the international market as per a large-scale assessment, and they play a central role in the operation of PISA. In Singapore, which exhibited a high score in PISA, the National Institute of Education (NIE) and its private arm, NIE International Pte Lte (NIEI), carry out educational consulting in close coordination with the central government. 

Through these four cases, it is apparent that a ‘global education policy market’ is on the rise. The trend of these countries’ activities is considered as a positive contribution on their part in offering their know-how. The relationship between the countries offering the expertise and the countries at a disadvantage is based on the exchange of educational performance and economic resources; countries that have the advantages of educational performance impart their expertise in educational policy while the economically disadvantaged nations pay for this know-how by using their economic resources. This exchange is understood superficially as following the market mechanism. The choice is made by the rational supply-demand relationship and both sides are expected to agree on fair terms. However, most of the countries seeking this expertise in the field of education are non-members of the OECD, and they have no seats on the PISA Governing Board. Therefore, they have no influence on the selection, definition, value setting, and frameworks of the educational performance assessment. The educational performance is unilaterally priced by the countries offering their knowledge in the field and therefore the rules for balancing supply and demand are biased. Hence, this kind of trade can possibly result in the status quo being maintained, wherein the privileged countries continue to be at an advantage and dominate while the disadvantaged remain submissive. 

This asymmetric relationship is a kind of ‘Hegemony’ (Gramsci, 1975). Furthermore, ‘Educational Hegemony’ has come into being through the supply of consulting services from developed countries to developing countries.

日本教育行政学会より研究奨励賞を受賞しました

2016年に日本教育行政学会の年報に掲載された論文に対して、日本教育行政学会から研究奨励賞が授与されました。

授賞対象は以下の論文です。

林寛平「グローバル教育政策市場を通じた『教育のヘゲモニー』の形成―教育研究所の対外戦略をめぐる構造的問題の分析―」, 日本教育行政学会(編)『日本教育行政学会年報42 教育財政をめぐる問題群』, 2016, pp.147-163, 303-304.

要旨は以下からご覧いただけます。
https://shinshuedu.blogspot.jp/2017/10/blog-post_93.html

本文は機関リポジトリからダウンロードできます。

授賞式は10月14日に日本女子大学で行われ、学会長から表彰状をいただきました。