3月18日。スウェーデン、ストックホルム組にとって、学校での実地研修最後の日であり、そしてスウェーデン研修最後の日である。それぞれの集合時間に合わせて、眠たい様子で朝食を食べるみんなだが、まだ今日がスウェーデン最後の日である実感はないようだ。かくいう私も今日がスウェーデン研修最終日である実感はない。というもの、今日は各学校で先生方へお礼のお菓子を差し上げるという任務があるからだ。任務という言い方は相応しくないのかもしれないが、慣れない英語、慣れない文化の中でお礼の品を差し上げるというのは、精神的にハードルの高いことではないかと私は思う。私も昨日の夜から、何度も英語でのお礼の言い方、スウェーデンの人々が好感を覚える言い方などをインターネットで調べるが、果たして付け焼刃の知識が役に立つのか不安で仕方がない。ちなみにお菓子は、昨晩、林先生がみんなを連れて行ってくださった「スーパースーパーツアー」で購入したものである。全員で、そして林先生のアドバイスをいただいて購入したお菓子なので、お菓子が気にいられないなどの最悪の事態は避けられるだろう。ここまで、スウェーデンの学校の先生方に対するお礼への不安を長々と書き連ねているが、大げさだと思わないでほしい。実際にこのような状況、つまり文化も言語も異なる人々対してお礼をするとなると、精神的疲労は半端ではないのである。しかし、くれぐれも勘違いしないでほしい。スウェーデンでの学校研修はとても楽しく、きっと教員になる人、また私のように教員になる気はないけれど、少しでも教育に興味ある人、すべての人にとってためになるもので、今後の人生で人に自慢できるものになるから。「私、スウェーデンで教育実習したよ」と言ったら、たいていの人は驚いて、あなたに興味を持つだろう。まあ、人に自慢するものでもないが、人に自慢できるものがあるということは、自信を持つきっかけとなるだろう。ここで、読者の皆さんお気づきかと思うが、私はさっきから「大げさだと思わないでほしい」、「勘違いしないでほしい」など読者のネガティブな反応を予想しては、いちいちストップをかけている。そう、私が考えすぎな人間であるということがこのつたない文章からおわかりいただけたのではないかと思う。お礼のお菓子について心配していた人はきっと私くらいであったであろう。みんなは研修最後ということもあって、かわいい子供たちと別れることの方が辛そうであった。
学校紹介 Neglinge Skola
さて、最後の学校研修に出かけなければいけない。ちなみに私の派遣校はNeglinge Skolaであった。なので今日のブログではNeglinge Skolaの話が中心となる。というか、Neglinge Skolaの話しかしない。今日の話をする前に私の学校について話をしよう。Neglinge Skolaとは日本でいう小学校のような存在だ。学校の雰囲気としては非常に落ちついている。これにはいくつかの要因がある。それは、学校がある地域が高級住宅街で、ここに通う児童のほとんどは富裕層であるからだ。これは、給食を食べていても実感した。私は2年生、8歳の子たちのクラスで研修させてもらった。もちろん給食はこの8歳の子たちと一緒に食べる。彼らの食べ方は非常にきれいで、ナイフとフォークの使い方もマナーのとおりである。食べ物で遊ぼうとする子は一人もいない。こういったことからも児童たちの経済的背景が学校の雰囲気に与える影響は非常に大きいものであることが分かった。そして、この学校の雰囲気が非常に落ちついていることのもう一つの要因は、移民のバックグラウンドを持つ児童が少ないからである。これは私が推測した要因ではなく、この学校の副校長に学校のプレゼンの際に説明してもらった。副校長によると、この学校の近くにはもう一つ学校がある。そこは移民の子が多く、荒れた雰囲気の学校らしい。実際に私はその学校近くの駅からバスに乗り、その学校の児童たちを観察したが、雰囲気は全く異なり、バスの中で騒いだり、スマホで音楽を大音量で流していたりなど、なかなかに荒れた様子であった。私が知っているスウェーデンの学校のイメージとはスウェーデンの中でもいいところを切り出して、はっつけ、まるですべてがいいかのように作られたものなのかもしれない。大音量の音楽で踊りまくる子供たちに囲まれながら、自分の知識不足を自覚させられた。そして、中にはそのような校風に合わずNeglinge Skolaに転校してくる子もいる。しかし、この学校に入学するには順番待ちで、誰でも転入したいからと言ってすぐに転入できるわけではないそうだ。公立の学校間でもこのように大きな差があるというのは平等の国スウェーデン、福祉の国スウェーデンという今まで持っていたイメージとは大きく異なり、個人的には驚いた。
学校に向かうバスの中で、スウェーデンの人々のやさしさ
さて、話を元に戻して、今日、3月18日の話を始めよう。先ほども言った通り、今日のお礼のことばかりを考えて、私は不安だらけであった。不安のせいで、おいしい朝食も喉を通らず、オレンジジュースのみを流し込み、学校に向かうバスへと乗った。バスの中でも不安に苛まれていたが少しうれしい出来事があった。最初、席を立っていたのだが、二人席に座っていた乗客の方が、わざわざ自分のリュックを膝にのせ、席を空け、ここに座るようにジェスチャーで示してくれた。お言葉に甘えて(言葉はなかったが)、座らせていただいた。こういったちょっとして日常の中でもスウェーデンの人々のやさしさを感じることがある。もちろん、私は「あの国の人間はこうだ」とか、その人の国籍によって、パーソナリティを決定することには反対である。ただ、スウェーデンには優しくて、シャイな人が多いなという印象をこの研修を通して思った。わざわざ目立とうとはしないけど、困った人がいたら、自分のできる範囲でさりげなく助けようとする人々が多いと思う。そして、そんな人の温かさに触れ、少し不安が和らいだ。もうすぐ学校である。バスの天井にあるSTOPボタンを押すために腕を伸ばして、体が緊張していることを確認した。
お菓子を渡して、ヨットハーバーへ
実は今日、いつもよりも早めにホテルを出た。なぜなら、学校では職員会議が8時から9時の間にあり、先生全員が集まるこの時にお菓子を渡そうと思ったからだ。本当は会議が始まる8時より前に行こうと思っていたのだが、不測の事態が生じ、学校に到着したのは8時13分であった。会議は始まっているし、この雰囲気の中、お菓子を渡すために突入するのか、どうしようかと迷っていたら、私を担当してくれている先生が教室の前でうろついている私たちに声をかけてくれた。今までお世話になったお礼としてFikaのお菓子を持ってきたことを伝えると、「ありがとう。キッチンのところに置いておいてね。」と言われ、私たちは休憩室のキッチンのところにお菓子を置き、先生は会議へと戻っていった。急にほっとして、体の力が抜けた気がする。もっと、格式ばった感じでプレゼントを渡さなければならないと思っていたから、こんな簡単な感じでよかったんだと少し以外に思った。しかし、何はともあれ、お菓子を渡すという今日最大の任務は終わったわけで、時間は8時25分、9時からの授業開始までまだ随分時間がある。せっかくだから、学校の近くにあるというヨットハーバーをみんなで見に行こうという話になった。ヨットハーバーに向かうまでに高級住宅街を練り歩いた。「ああ、あれいくらだろう?確か、3億円くらいじゃない?」、「3億円ハウスがこんなに…」と庶民丸出しの会話をスウェーデンの高級住宅街でぼそぼそと響かせながら進んだ。高級住宅街を抜けた先に入り江のような場所があり、おそらくそこがヨットハーバーなのだろうという結論に至った。これが海なのか湖なのかは、浅学な私にはわからなかった。一面に厚い氷が張っている。規則的にひび割れを起こし、まるで人の手によって創られた氷の石畳のような雰囲気を感じた。写真から私の感動が伝わるかわからないが、一応紹介しようと思う。
ちなみに、そのあたりに落ちてあった石を水面に投げたのだが、氷はびくともしなかった。みんなで恐る恐る片足を氷の上に乗っけたりと、落ちたらどうするんだとか先のことを何も考えずにしばらくの間、遊んでいた。頬を突き刺すような風に限界を感じ、学校へと足早に戻った。道中、件の高級住宅街から登校してくる小学生を見て、「ここの小学生は裕福なんだね」と月並みの感想をつぶやいた。私は先日見た荒れた小学校の児童たちのことを思い出し、平等の国スウェーデンでも格差を感じるのかと一人、心の中でつぶやいた。結局のところ、国民から高い税金を取り、福祉を充実させたところで、格差は生まれる。人がいて、みんなが自由にお金を稼ぐシステムがある限り、格差はどのような国でも生まれ続けるのだろう。私は、スウェーデンの中でも裕福な子が通う、いわば金持ち学校のような学校で研修をしたわけだが、これがスウェーデンの平均的な姿だと思わないよう、自分を戒めた。
教室での時間
今日も、いつものように私のクラスはとても静かに始まる。それぞれがスウェーデン語の単語の書き取りのプリントをもって自分の席に着く。終わった子から順に教室に置いててある本の中から好きなものを選んで読み始める。本に挟んであるしおりは自分の姿を模して作られたアバターが描かれており、一目見るだけで自分のものだと分かるようになっている。そして、今日の一時間目はスウェーデン語の授業だった。いつも通り、単語の授業が始まる。そして、2時間目は算数の授業だった。今日は二桁の足し算の授業で、おはじきのようなものを使って一問を時間をかけてグループで話し合いながら解いていく。その後は先生の解説をみんなで聞く。一問にこれだけの時間をかけるのは少し効率が悪い気もするが、足し算の概念を理解するという点では、効果的なのかもしれない。その後は、英語の授業があった。英語の授業の間は、ちょっとした注意でさえもすべて先生は英語を用いる。最初に先生が英語の絵本を読み聞かせし、その後、子供たちは自分の好きな英語の絵本などを箱の中から選んで、ペアで音読しながら読んでいる。先生はスウェーデンのアルファベットと発音の違う言葉を教えながら教室中を歩いている。
さらに先生に質問したところ、英語の授業では本だけではなく、映画鑑賞もするそうだ。映画鑑賞の際は、スウェーデン語の字幕ではなく、英語の字幕で映画を見る。英語の授業は、完全に英語100%で行われ、本や映画など生きた英語に触れ合えるようになっているという点もスウェーデンの人々の英語力の高さの要因ではないかと思う。
おわりに
このようにして、私は最終日の午前中を終えた。終わってしまうことに対しての悲しさよりも、待ち受ける解放感への楽しみの方が大きかったようだ。
(K. H.)
午後になって、いよいよ子供たちとのお別れの時間がやってきました。私の実習先、Neglingeでは各クラスでお別れ会が開かれたり、感謝の気持ちとさよならを惜しむ気持ちが込められたプレゼントが子供たちから渡されました。たった4日間の実習で、うまく言葉でのやりとりができない中でも、子供たちと心が通じ合い、仲良くなれたことは思い出に残るとても素敵な時間でした。
そして、実習が終わった後はNeglingeのみんなで外にご飯を食べに行きました。ホテルのフロントの方におすすめのお店を紹介してもらい、ホテル近くのお店Urban Deli Sicklaに入りました。
メニュー名が分かっても、どんな料理か理解できないものも多く、結果的にそれぞれが挑戦的なお料理を頼むことになりましたが、これも経験の1つとして思い出に残るものとなりました。
その後は、ホテルに帰って2回戦目のご飯をいただきながら、各学校をシャッフルして最後のリフレクションを行いました。私は個人的にこのリフレクションの時間が好きで、実習先での出来事を聞くことが学びにつながるのはもちろん、みんながその出来事についてどんな風に考えているのか、また、その人自身について知れる機会でもあると思うのでとても大切な時間だと思います。
(A. T.)
※本事業は、ウプサラ大学教育学部との国際交流協定に基づき、信州大学教育学部の国際共修授業「Education in Global Perspectives III」(不定期開講・3単位)として実施されています。また、信州大学知の森基金を活用したグローバル人材育成のための短期学生海外派遣プログラムおよび独立行政法人日本学生支援機構海外留学支援制度(協定派遣)の助成を受けています。