2015年2月19日木曜日

研究紹介: 若者はなぜ投票に行かないのか(卒業研究)


研究紹介


大木健晴『信州大学教育学部生の主権者意識の実態
~政治に関する意識調査」の分析から~』(卒業論文)

 
林 寛平(信州大学)
 
 若年層の低投票率や選挙権年齢の引き下げ、ネット選挙解禁やシティズンシップ教育など、さまざまな角度から若者の主権者意識が国民的関心を浴びている。中央教育審議会では、「国家及び社会の責任ある形成者となるための教養と行動規範や、主体的に社会に参画し自立して社会生活を営むために必要な力を、実践的に身につけるための新たな科目等の在り方」が検討されており、教育改革のアジェンダにもなっている。
 本研究は、若者の政治に関する意識の実態を把握することを目的として、信州大学の学生382人に対して質問紙調査を行った。同種の意識調査は明るい選挙推進協会の全国調査をはじめ、他の大学等でも散見されるが、ネット選挙が解禁され、戦後最低の投票率を記録した直後で、さらに18歳選挙権が議論される最中での意識調査という時期が重要である。調査にあたっては、明るい選挙推進協会の調査と同様の設問を含め、若年層に特有の傾向や地域性、教育学部生の特性を明らかできるように配慮している。
 

行くべきだが、何も変わらないから行かない

 まず、調査から明らかになった全体の傾向を整理しておこう。全国調査の傾向と共通して、信大生の政治に対する満足度は低い。また、他の世代と比べて、投票を「権利だが放棄すべきでない」と答える割合が大きかったが、全国調査との比較では「国民の義務」や「個人の自由」と捉える学生が少なかった。政治に満足せず、放棄すべきでない権利だと思っているのに、なぜ投票に行かないのか。ひとつの鍵が、「自分の意見や考えが、政治に影響を与えると思うか」という質問に対する回答に現れている。「強く思う」(1.6%)と「どちらかというとそう思う」(14.6%)と答えた学生はわずかしかおらず、大半の学生(60%)が自分の考えが政治に影響を与えると思わないと答えた。ここから、多くの学生が政治に不満をもち、投票に行くべきだと思っていながら、投票しても自分の意見は反映されないだろうという無力感から、投票行動に向かわないという像が見えてくる。
 

「わからない」学生の低投票率

 では、どのような学生が投票に行かないのだろうか。この点を分析すると、裏腹ではあるが、興味深い現象が浮かんできた。「あなたは、現在の政治に対してどの程度満足していますか」という問いに回答した学生の投票率は、「大いに満足している」と「だいたい満足している」と答えた学生が25.4%で、「やや不満足である」「大いに不満足である」と答えた学生は45.0%で、不満足な学生の方が投票率が高かった。これは、調査時に想定した傾向と合致している。しかし、この集計で最も投票率が低かったのは、「わからない」と答えた学生の19.6%だった。つまり、政治に対して満足しているかどうかも「わからない」学生は、投票に行く傾向が低いということが分かった。
 この「わからない」学生をさらに分析すると、彼らは他の学生よりも、受動的なメディアに触れていないことが分かった。「社会についての情報を何から得ていますか」という問いに対して、「テレビやラジオ」と答えた学生は全体より少なく、「インターネット」と答えた学生が多かった。テレビやラジオのニュース番組を「ほぼ毎日」見ていると回答した学生は、全体の平均が45.4%だったのに対して、「わからない」と答えた学生の平均は30.4%だった。新聞ついては、「ほとんど読まない」と答えた学生が圧倒的に多く、全体の割合も74.6%に達するが、「わからない」と答えた学生はさらに多い88.2%だった。学生は場面によってメディアを使い分けており、投票にあたっては、普段よりも「テレビやラジオの報道」(63.7%)や「新聞の報道」(31.9%)を参考にする傾向があった。これらの結果を勘案すると、「わからない」と答えた学生は、社会の情報に触れる機会が限られているだけでなく、特に選挙時に他の人が参考にしているメディアとの接点が乏しいことが明らかになった。この調査からは相関関係しか分析できないため、「わからない」学生は、受動的なメディアに触れても「わからない」から触れていないのか、触れていないから「わからない」のかはわからない。ともあれ、彼らが社会の情報に触れないことによって、社会の構成員としての認識が育っていない可能性が指摘できる。彼らが意図をもって受動的なメディアに触れていないのだとすれば、「私たち」の社会からの情報をミュート(消音)し、エスケープ(脱出)しようとしているのかもしれない。
 投票に行かない層に対して「投票に行こう」と働きかける際、テレビやラジオ、新聞が使われていないだろうか。この調査結果を見ると、投票に行かない人は、そのようなメディアに触れていないことから、メッセージは届いていないかもしれない。「投票に行こう」は、インターネットを通じて呼び掛ける必要がある。しかし、それ以前に、彼らに「私たち」の仲間に入ってもらうためには、彼らの「わからない」に「私たち」の側がきちんと耳を傾ける必要があるだろう。

 

学校での学習と投票行動

 次に、投票に行かない人たちはどのようにして生まれるのか。今回の調査では、学校における主権者教育のあり方を検討するために、3つの質問項目を設けた。まず、「あなたが学校で受けた政治に関する学習にどのような印象をもっていますか」という質問に対する回答は「有意義だった」(5.7%)「どちらかと言えば有意義だった」(54.5%)「どちらかと言えば意義は無かった」(34.3%)「意義はなかった」(5.5%)となっており、約6割の学生が意義を認めている。学校での政治に関する学習の意義に肯定的な回答をした学生のうち38.4%が投票に行っており、否定的な回答をした学生の投票率33.1%よりも高くなっている。
 「学校における政治に関する学習で印象に残っている時期」を尋ねたところ、「中学校」(41.5%)と「高校」(40.2%)という回答が多く、「小学校」(6.3%)、「大学」(4.7%)、「どれでもない」(7.3%)は少なかった。この結果を見ると中学校と高校での学習が効果を挙げているように読める。しかし、それぞれの回答と投票率をクロス集計すると、「小学校」と答えた学生の投票率は27.8%で、同様に「中学校」は33.1%、「高校」は40.3%、「大学」は53.8%、「どれでもない」は23.8%となっている。上の段階になるほど投票行動との相関が強くなり、特に大学での学習が印象に残っている学生は投票率が高いことが分かる。
 また、「今までの児童会や生徒会などの活動への参加はどのようなものでしたか」という質問に対しては、「積極的であった」(27.6%)「どちらかと言えば積極的であった」(41.2%)「どちらかと言えば消極的であった」(20.7%)「消極的であった」(10.5%)という回答が得られた。この結果については、教育学部生に質問しているという点に留意が必要である。児童会や生徒会などの活動に「積極的であった」「どちらかと言えば積極的であった」と答えた学生のうち42.1%が投票に行っており、「どちらかと言えば消極的であった」「消極的であった」と答えた学生の投票率23.5%を大きく上回っている。
 

学校が「わからない」学生を生んでいる可能性

 ここで再び「わからない」学生だけを取り出して相関を見ると、児童会や生徒会への活動に「積極的であった」学生の割合は29.4%で、全体よりもわずかに大きくなっている。一方、「どちらかと言えば積極的であった」(26.4%)は大きく減り、「どちらかと言えば消極的であった」(24.6%)「消極的であった」(19.1%)がそれぞれ増えている。「わからない」学生を全体の傾向と比較すると、児童会や生徒会の活動にあまり積極的に参加していなかったことが分かる。児童会や生徒会に対して積極的であることが明らかな教育学部生という集団特性を考慮すると、このような違いは一般の若者ではさらに大きいと予想される。
 ところで、児童会や生徒会が民主主義教育の礎として機能している学校はどれほどあるだろうか。少数の優等生が「代表」になり、日常の学校生活に大した影響のない議論を形式的に行っているという学校も多いのではないだろうか。そう考えると、児童会や生徒会が少数の「私たち」と多数の「彼ら」を生み出してしまっているのかもしれない。学校は若者にとって最も身近な社会だが、若者はその小さな社会に主体的に参画しようとする意識をもっているだろうか。指導者は、単に知識として主権者教育をするだけでなく、子どもや若者たちを学校の主権者として参画させ、民主主義の社会に導けているだろうか。もしかしたら、学校に通う時期からすでに若者たちの社会からの「脱出」が始まっているのかもしれない。これらの仮説は、今回の調査から説明することには限界があり、別の研究としてさらに深めていく必要がある。
 

包摂する社会にむけて

 シルバー・デモクラシーと指摘され、世代間格差やブラック企業によって若者が社会的に虐げられているという認識が広がっている。その言説は、社会から排除される若者像を描いてきた。しかし、今回の調査から浮かんだ仮説は、むしろ若者が社会から逃げ出しているのではないかというものだった。民主主義は社会の全構成員を包摂することを仮想して成り立っているが、その仮想が本質的に達成されることはない。その意味で、民主主義とは常に全体の包摂に向けた装置であり、過程であるとも捉えられる。本調査からは、主権者教育が、主権者意識育成の阻害要因になる可能性も示唆された。誰もが社会から排除されることなく、また、社会から逃げ出さなくてもいいように、「彼ら」の声に真摯に耳を傾ける必要があるだろう。

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